18世紀松前藩による支配から始まるアイヌ民族の苦難の歴史が記されています。アイヌ語には文字がないためアイヌ語で書かれた歴史書が存在せずアイヌ民族の歴史を知るには、伝承とアイヌと接触した大和民族などの記録に頼ることになります。大和民族の記録は支配者の視点から記されていて自身を正当化する一方的な言い分が多いのですが、一部にはアイヌ民族の悲惨な状況も記されているようです。著者は資料から史実を抜き出して評価し、明治維新の前から大和民族が異民族としてのアイヌ民族の支配を進めていった歴史を記しています。日本では1997年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統に関する知識の普及及び啓発に関する法律」を制定し、2008年には衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を採択しましたが、先住権を認めてアイヌに土地を返すといった政策には至っていません。研究用サンプルとして盗掘され大学に保管されていたアイヌ人の骨の返還などは進んでいますが、アイヌ民族による儀式でもある鮭の漁などを自由に行う行為は認められていません。
北海道から樺太(サハリン)、千島列島に至る広範な土地で生活していたアイヌ民族は北上してくる大和民族と南下してくるロシア民族に生活域を脅かされ、アイヌの土地は1855年の「日露通好条約」により択捉島までが日本領、サハリンは雑居地となったようです。明治政府は開拓使庁を設置し、アイヌ民族を旧土人と称し、和人式姓名を強制しアイヌ習俗を禁止するなど朝鮮半島などで実施した植民地支配の原型が見られるようです。1875年の「樺太千島交換条約」で得撫島以北の千島列島も日本領として雑居地だったサハリンをロシア領としたため、サハリンから対雁(江別)へのアイヌの強制移住が実施されたようです。これによってアイヌは疲弊しさらに、コレラと天然痘が広がって多くのアイヌ人が亡くなったようです。さらにロシア支配下の北千島に暮らしていたアイヌをロシアとの国境近くに置いておくのは国防上危険と考え色丹島に移住させたようです。環境の激変で移住した97人のうち49人が5年半で亡くなったそうです。この後もアイヌ占有地の接収などによる強制移住は繰り返されています。
1919年「北海タイムス」に載った国際連合赤十字シベリア派遣団長ジョージ・モンダントン医学博士の言葉としてアイヌ人に対して「日本は日光其他の場所に見る如く、古物保存の有名なる国なれば彼らの保存も必ずできると思ひます。」と記されていることを著者は「物扱いそのもの」で「人類学という学問自体が持つ欠陥を端的に物語っている」と言います。「人類学が植民地の<野蛮人>を研究する学問として、植民地支配とその正当化の一翼を担っていたことは、近年注目されているところである」という小熊英二氏の「<日本人>の境界」の一説も紹介しています。
アイヌ民族は日本の先住民族ですが、学校教育の日本史でアイヌの歴史を学んだ記憶がありません。「自虐史観」などと言って朝鮮半島や中国、東南アジアなどでの植民地支配など加害の歴史を教えることを避ける動きがありますが、本書を読むまで私にはアイヌの歴史について大和民族による加害の歴史と見る視点がありませんでした。中学や高校の日本史で本書のような良書を教科書としてアイヌの歴史を教えるべきでしょう。